「殺害予告」初音ミク/瀬奈
夕凪ゆうら曲詳細
#vocaloid #初音ミク 瀬奈と申します。よろしくお願いします。 作品概要 殺害予告とは、その名の通り他者を殺害すると予告する、触法行為である。その中でも、個人を特定し、その個人を殺害すると直接伝える事で、刑法222条によれば、脅迫罪に問われるとされている。しかし、ここで一つの疑問が生じる。殺害予告が罪とされているのは社会的秩序を保つ為と簡単に解釈したとして、その際、自分自身に対する殺害予告は、果たして罪に問えるのか、という物だ。言い換えるなら、「自殺をする」と不特定多数の他者に伝える事によって、何か社会に影響を与え得るのか、という事だ。ここに、私個人の解釈を加える。それは、自身に対する殺害予告は、法や罪という事の意識は薄く、それよりも、一種の存在証明となりうる、という考え方である。殺害予告によってこのご時世、注目を浴びる事になるというのは自明である。他者を殺そうという場合、殺意も無論だが、それよりも、「何かを成し遂げる」事により、世間における自らの立ち位置を明確にしようという意思がある、というのも一つの見方である。そして自身に対する予告の場合、それがより顕著になるかのように思われる。即ち、自らの死をもって、そこに自分が生きていたという証明をしよう、という、極めて撞着的でありながら逆説的なやり方であろう。さらに言及すれば、人が一人死ぬという状況は、それ自体で作品となり得る。現に、巷に溢れる、映画、ドラマ、小説を始めとした作品には、人が死ぬ事を一つの芸術のあり方として提示しているものも多い。ただ、そのやり方は飽和状態になりつつある。私は、そういった現状で生きている者が自らの死をもって自分への関心を惹こうとする事も、最早「よくある話」になってしまう事に対して、ある種の悍ましさを禁じ得ない。一つの自己表現、存在証明のやり方として、そのような自傷的な行動を取らざるを得ない、という思考に陥る者が存在するのも、最悪の場合、最早「見飽きた」と一蹴されるかもしれない。だから、この作品は、そういった現状に対する、ある種の「問いかけ」である。この作品は、最終的にそれほど関心は惹くことはできず、「下らないな」と一蹴されることで、完成されるのかもしれない。だが、この作品に触れ、尚且つこの興醒めな文章をここまで読んでくれた方々には、作品を通して、共にこの命題について考えていただきたい所存である。 https://mobile.twitter.com/pekepon893





